「美しい」ってなんだっけ? ちゃんと考えたら自分の目標がクリアになった
こんにちは、旭川まなみです。
「美しい」という言葉、私はよく使います。
私の目標は美しい女性になることです。
でも、「美しい」って……
「美しい」ってなんだろう、自分はこの言葉をどういう意味で使っていたんだろう。
ふと、立ち止まって考えてみました。
「綺麗」「かわいい」「美しい」
これらの明らかにポジティブな意味を持つ形容詞を、私たちは厳密に意味を考えないまま使ってしまいがちです。
成人式の振袖を見たら「綺麗!」
友達が髪型を変えたら「かわいい!」
とってもストレートかつ分かり易い褒め言葉にもなりますよね。
でも、「美しい」という言葉はどうでしょうか。
「綺麗」「かわいい」ほど、気軽に使いづらい言葉のように感じます。
私にとって「美しい」は、心からそう思わない限り気軽に使えない、とても高尚な言葉というイメージがあります。
そして、これらの言葉、定義は人それぞれ。
例えば、美しい女性になることが目標といっている私ですが、
そういったところで、相手に私と同じ「美しい女性」のイメージを共有することはとても難しいでしょう。
つまり私の目標「美しい女性になる」は、実質上意味がない言葉と化していました。
こんなに幅の広い言葉を、自分なりの意味づけもできていないまま漠然と使ってしまっては、相手にも伝わらないし自分も理想の未来をイメージしづらい。
これを機に、私の美しさの基準を考え、
さらに「美しい女性になる」の目標をもう少し掘り下げてみたいと思います。
これは、私の漠然とした考えを
私にとって「美しい」とは
大きく分けて5つ。
「自立・自律していること」
「目的があり努力を怠らないこと」
「仕草や姿勢が整っていること」
「余裕を持って生活していること」
「Giveの精神が豊かなこと」
それでは一つ一つ、詳しく見ていきたいと思います。
1、自立・自律していること
一番初めに思いついたのは「じりつ」という言葉。
「自立」であり「自律」です。
自分の足で立ち、自分を律するということ。
私が思い描く美しさのイメージは、自分の名前で仕事をするキャリアウーマン。
自分で自分の生き方や、今何をやるかを一つ一つ決め、達成していく。
そんな姿に強い憧れがあります。
反対に、彼氏に依存的な彼女は「自立」や「自律」から程遠いイメージですよね。
意思決定の主体が自分になく、他人にどう思われるかということが行動指針になっている。
私はそのようにはなりたくない。
いくら見た目を着飾っても、自立と自律ができていない女性は言動ですぐに浅さがわかってしまいます。
私はとても弱い人間です。
すこし気を抜くと、親や彼氏にすぐに弱音を吐いて依存的になってしまったり、自分を甘やかしてしまいます。
だからこそ、気をつけたい部分です。
2、目的があり努力を怠らないこと
「なりたい自分」「達成したい目標」に向かって努力している人が出すオーラやエネルギーって本当に素敵ですよね。
私がこんなふうになりたいという人は有名人ではGACKTさん。
目的に向かって努力する美しさや、それが人生にもたらす豊かさに目覚めたのは彼のラジオがきっかけでした。
彼はとてもストイックな方としてよく知られています。
特に感動したのが、あるラジオの中で
「自分が好きになれないのなら、なりたい自分と今の自分を比べて何が足りないかを考える。そして、足りない部分を一つ一つ努力で埋めていく。そうすれば自分で自分を好きになれる。結局は積み重ねだよ」 という旨の発言をしていらっしゃったことです。
目標設定なんて極端なことを言って仕舞えばなんでもいいんです!
なんでもいいから「こうなりたい!」っていうことを一つ決めてしまって、それに向かって努力する。
それの繰り返しをコツコツと出来る人が美しい人だと思います。
3、仕草や姿勢が整っていること
これは、かなり元来の「美しい」という言葉に近い意味だと思います。
仕草や姿勢が整っていると、周りからも「美しい」「綺麗」と言われるような存在になりますよね。
でも、どうして「メイク」や「服装」ではなく、「仕草」「姿勢」なのか。
私はその人本来のナチュラルな部分に美を見出すことが多く、
特に「仕草」や「姿勢」は付け焼き刃ではどうにもならない部分だと考えています。
もう少し具体的に……
例えばメイクや服装はプロにお願いしてしまえば、一時間足らずで「綺麗」と言わしめるレベルに押し上げてもらうことは可能ですよね。
しかし、「仕草」や「姿勢」はどうでしょう。
それこそ日々の積み重ねの表れ。
「仕草」についてプロに教えてもらっても、整体で「姿勢」を正しくなるよう整えてもらっても、普段から自分で意識していない限りすぐに崩れてしまいます。
逆に、一度でも身につけた良い「仕草」や「姿勢」は、なかなかなくなることはありません。
少し大げさな表現かもしれませんが、仕草や姿勢はメイクや服装の何十倍も「その人自身がどう生きてきたか」を反映します。
だからこそ、整っていれば美しさを感じます。
4、余裕を持って生活していること
全てに通じることです。
余裕が全くなく、自分のことや短期的なことばかり考えて生活している人は、どこかせかせかした印象を与え、美しいとは言い難いのではないでしょうか。
ここで言う余裕は、精神的余裕・時間的余裕・金銭的余裕の大きく3つに分けられます。
精神的余裕がなければ、他人に対して配慮をしたり、自分の未来について豊かなイメージを膨らませることもできません。
時間的余裕がなければ、やりたいことがあってもなかなか実現できなかったり、自分をいたわるための時間が取れません。
金銭的余裕は、この中での優先順位は一番低いですが、それでもなければ行動が制限されてしまうことは間違いないでしょう。
5、Giveの精神が豊かなこと
「 Give 」つまり「与えること」
これができてる人に、私は言いようもない懐の深さと優しさを感じてとても憧れます。
与えるのはものに限らず、思いやりや気配りや優しさなどなんでも構いません。
自分以外の誰かの役に立ちたい、何かを与えたい、その心こそが大切です。
そして、それ目的ではもちろんいけませんが、与える人の元には与えた分だけ何かが返ってくると私は思っています。
こんな表現はバチが当たるかもしれませんが、人に何かを与えるってとっても費用対効果が高いと思うんです。
例えば、あなたが咳き込んでいた時、近くで見ていた友人がそっとのど飴をくれたとします。そののど飴はおそらく一粒30円くらいでしょうか。でも、あなたはそれ以上の価値や嬉しさを相手から受け取ることができますよね。
逆に言えば、あなたが咳き込んでいる友人にのど飴を与えれば、30円以上の思いやりを相手に与えることが出来るのです。
こうやって値段で表すとなんとなくいやらしいな、と思う方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、私たちは皆マザーテレサではありませんから、ある程度の見返り(社会的評価やお金やものなど)がなければなかなか無償で与える都いうことは難しいですよね。
私はそうやって戦略的にGiveを与えることが多々あります。
しかし、相手は誰彼構わずということではないので、やはり心地のいい友達が私のGiveに対して呼応してくれ、良好な関係を築いています。
与えることをごく自然にできている人の周りにはいつも人が集まります、情報が集まります。
Giveの精神を元に生まれたTakeによって、私たちはどんどん豊かになっていきます。
その波動やオーラこそ美しさの源泉のような気もします。
まとめ
長くなってしまいましたが、
私にとって目標とする「美しさ」とは
「自立・自律していること」
「目的があり努力を怠らないこと」
「仕草や姿勢が整っていること」
「余裕を持って生活していること」
「Giveの精神が豊かなこと」
……この5つです。
普段「私の目標」として何気なく使っている言葉、
辞書的な意味から離れてオリジナルなニュアンスで使っている言葉、
あなたにもあるのではないでしょうか?
一度立ち止まって、
「自分はこの言葉をどういう意味で使っていたかな?」と考えることは、
自らの考えをより深化させるための手段として有効なのではないでしょうか。
最後まで読んでくださってありがとうございました。
旭川まなみ