自分を愛するために

旭川まなみ、大学4年生。自分が嫌い・自分に自信がない…そんな現状を変えたくて試行錯誤しています。

わたしの頭に住んでいたのは宇宙人じゃなくてオタクなメンズでした。①

こんにちは、旭川まなみです。

 

すごーーーくひさしぶりにブログを書きます。

 

わたしと、発達障害の話です。

結論から言うと、わたしは発達障害ではないのですが、ずっと自分のことを発達障害と思って生きてきました。

 

発達障害と言っても色々あるのですが、わたしが疑っていたのはASD(自閉症スペクトラム)でした。

 

自閉症スペクトラムは比較的最近ついた名前で、少し前の呼称で言うと、「アスペルガー症候群」です。

 

アスペルガー症候群の特徴の細かい部分は、ぜひ各々調べていただきたいのですが、

わたしが、わたし自身を発達障害と思ったのは、下記の症状が当てはまるからでした。

 

・雑談が苦手

・空気を読めない発言をしてしまう

・冗談が通じない

・1人でいることを好む

・同じ動作や行動を繰り返す

 

まぁ、これだけ見れば普通というか、少し変わった人、くらいの扱いなのかもしれませんが、わたしはこの特性が原因で、社会人生活でかなりしんどい思いをしてきました。

 

例えば雑談や大人数での会話が苦手なので、仕事中に仕事以外の会話で周りの人と打ち解けることができない。→「よくわからない子」という扱いになり、先輩から業務上の質問なども親切に教えてもらえない…。最低限は教えてくれるのですが、コミュニケーション能力が高い同意との会話を見ていると、可愛がっているぶん、丁寧に教えている様子でした。

 

空気が読めない発言は、これが当てはまるのか分かりませんが、例えば、先輩の趣味のスポーツの話をしていた時、周りがそれぞれの応援チームや選手についての発言で盛り上がっていた時、「それってよくわからないんですけど楽しいんですか?」と聞いてしまったり…。

わたしとしては、話を深掘りする目的で、純粋な「なんで?なんで?」という興味だったんですが、先輩の趣味を小馬鹿にしているように受け取られ、変な空気になりました。

 

そのほかにも、1人でいるのが好きだからいつもランチは1人で会社近くの休憩スペースで食べているからコミュニケーション不足になったり(でも1人で食べないとお昼休みで消耗して午後から仕事の効率が下がるので1人で食べたい…)、同期が笑わせてくれようと「昨日あった面白い話」をしていても、笑いどころがわからなかったり…

 

周囲とのズレが色々なところにありました。

わたしとしては相手の話に興味があるからこそ好奇心で色々聞いているのに、相手からすると詰められているように感じられてしまったり。

 

なんでこんなにうまくいかないのか分からりませんでした。

 

そして、仕事以外の「コミュニケーションのためのコミュニケーション」=話すこと自体が目的化しており、相手と仲良くなるための社交的な会話が、社会に出るとこんなにも重視されるのだと知って、なんとも言えず、苦しい気持ちになりました。

 

わたしは営業の仕事をしていますが、特段営業成績が良いわけではなく、かつ、愛嬌もなく、雑談もできない若手ですから、可愛がられなくて当然だと思いました。

 

でも、毎日しんどかった。

どうすれば他の人みたいに、先輩に失礼のない程度の軽口を叩いて好かれることができるのか、負担にならない程度の「お願い」や「秘密の共有」で距離を縮めることができるのか、全然わかりませんでした。

 

表面的に真似しようと思っても、タイミングや当事者のキャラクターや相手の機嫌など、無数な不確定要素があり、うまくいきませんでした。

 

そんな時、わたしがふと思ったのが

「あぁ、わたしって宇宙人みたいだな」ということでした。

 

「質問で相手の話を引き出す」とか、「相手の話は肯定からはいる」とか、本で読めるようなコミュニケーションの基本はわかるけれど、みんなが当たり前に知っている「暗黙のルール」や「臨機応変な対応」がわからない。

そんななかで、なんとか「わたしは変な人じゃありません。あなた方と同じ人間です」とわかってもらうために話さなくてはいけない。

自分なりに頑張るけど、話せば話すほど、自分が本当は人間じゃないこと(=暗黙のルールなどを理解できないこと)が露呈してしまう。

 

その繰り返しでした。

 

そんなときに、ネットでなんと調べたのか忘れましたが、自閉症スペクトラム(ASD)の存在を知り、ああ、自分は当事者なんだなと思い至ることになりました。

 

そのように考えると、本当に、合点がいくのです。

 

今までしんどかったことが、

「ああ、自分の性質のせいなのか」と思える。

 

これが、驚くほど救いでした。

しかし、わたしの頭に住んでいたのは宇宙人ではなく、しかも、ASDでもなさそうでした。

 

それは、昨年9月頃から通っている、カウンセリングルームのカウンセリングの中で気づきました。

 

※次の記事に続きます。

 

旭川まなみ

家で勉強できない人がどこで音読するか

こんにちは、旭川まなみです。

 

家で勉強できない人間です。

 

大学の図書館やカフェに行って勉強するのが常なのですが…

 

音読ってどこでやったらいいんだろう。

 

留学の事前学習で音読の教材を指定されているけれど、いやぁ、全然進まない…

 

やらなきゃとは思うんですけどね

会社の近くに住みたい

こんにちは、旭川まなみです。

 

春から社会人になります。

今住んでいる一人暮らしの家から職場までは1時間ちょい。

乗り換え2回。

通勤ラッシュやばい。

 

疲れてヘトヘトな時に、

「帰る」って体力使いますよね。

 

今日もそんなヘトヘトで、

出先から家まで1時間。

 

電車立ちっぱなし。

 

しんどかったです。

 

会社の近くに住みたいな。

 

徒歩圏内が理想

 

いや、自転車圏内か。

 

ちょっと離れてた方が良いね。

 

でも実際オフィス周辺なんて家賃高くて住めない。

 

はーーーーーー

 

疲れた!

 

物件検索するのは楽しいけど、

条件検索で家賃の上限決めたら楽しくない。

 

そんな、日々。

巨乳妹キャラの友人に自虐風自慢されて考えた、自慢を自慢たらしめるのは誰か、という話

こんにちは、旭川まなみです。

 

突然ですがみなさんは

「自虐風マウンティング」

という言葉をご存知ですか?

 

これは 「自虐風自慢」とも言い換えられ、

言葉の通り、

「自虐に見せかけて、実はマウンティング(自慢)をする」

という行為です。

 

 この説明で(というか説明がなくても)

「あ〜〜〜あるある!」

とならなかった方のために

 

もう少し、具体例を出して説明すると

 

「毎日友達に遊びに誘われて自分の時間がねーわ……二時間睡眠とか死ぬ……」

地味にウザッ!! "自虐的になんか自慢(略してJJ)"の華麗なかわし方を考えてみた(1/3) - ウレぴあ総研 

こんな感じで、

「2時間しか寝られないの辛い!」と主張しているように見せかけて、

「2時間しか寝られないほど友達に誘われる人気者な私☆」をアピールしている構造です。

 

自虐の裏に自慢を潜ませるというのが自虐風自慢ですね、はい。 

 

 

 

www.youtube.com

 

自虐風自慢」については、

youtuberの「整形アイドル轟ちゃん」の

こちらの動画が的を得ていて面白いので、

興味のある方は是非見てみてください。

 

 

友達に自虐風自慢をされて、初めて嫌悪感を覚えた出来事。

 「自虐風自慢」という存在は以前から知っており、

「あ〜〜この人自虐ぶってるけど結局自慢したいだけだよね」

という人にも何人も出会ったことがあります。

 

しかし、自虐風自慢に本気で腹が立ったことやモヤモヤしたことがなく、

先日初めて経験しました。

 

概要をまとめるとこんな感じ。

 

 

友人H

・大学入学当初から仲が良く4年目の友達

・巨乳で目も大きくかわいい

・守ってあげたくなる妹キャラ

・男受け/おじさん受けがめちゃめちゃ良い

・ちょっと抜けている?隙がある感じ

・夜のバイトもたまにする

・人誑しで、甘え方を心得ている

・自己愛が強い

 

いわゆる、巨乳で妹キャラ、ゆるふわの男受け抜群!という友人H。

 

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彼女の自虐風自慢はこんな内容でした。

・先日、夜道を歩いていたら痴漢にあった

・かなりのペースで痴漢にあっている

・それぞれ違う人

・警察への通報も、事情聴取も慣れっこ

・どうしてこんなに痴漢に会うんだろう

・ヤりたいとか、ヤれそうとか思われるからだよね

・胸大きいのがいけないのかな、本当デブやだ、痩せなきゃ…

・どうしたらいいんだろう?痴漢に合わないコツとかある?教えて?

 

はい。

 

THE☆自虐風自慢ですね、むしろ清々しい。

 

「痴漢にあって困っちゃう〜〜〜」と言いいながら、

「痴漢から狙われちゃうほど女の子として魅力がある私」をアピールする構造ですね。

 

 

まぁ、ここまで読んだ方の中には、

「本人は悩んで真剣に聞いているのに自慢と捉えるだなんてゆがんでいる!」と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、

話をしている彼女は笑顔も浮かべ、余裕があったので、本当に悩んでいるようには見えませんでしたね。

 

 

自虐風自慢にイライラする理由

 今まで、他の友人含め、様々な自虐風自慢を目の当たりにしたことはありましたが、

ここまでイラっとしたのは初めてでした。

 

どうしてこんなにイライラしたのかと考えたんですが、

当たり前ですけど、彼女が自分にないものを持っていて、羨ましかったからですよね。

 

彼女にあって私にないものは、

Gカップの胸と、自己愛と、「女の子」として異性に訴える力です。

 

彼女が持つGカップの胸を、

私がどんなに羨ましがっても手に入らないし、

痴漢にあったのは深夜1時にフラフラ歩いていることが原因だと考えもしない、

ある種の自己愛も私にはない。

アホっぽくても、抜けてても、「この子とヤりたい」と思わせる、

女性として異性に訴える力もない。

 

巨乳ぽっちゃりで妹キャラの友人Hと、

貧乳痩せ型でお姉ちゃんキャラの私とでは、

見た目から性格まで全く違うのに、

彼女が痴漢にあった理由は私の憧れる部分。

「羨ましい」と嫉妬してしまいました。

 

 

自虐風自慢」を完成させるのは受け手に他ならない

 

さて、ここで「自虐風自慢」という言葉に立ち返って考えたいと思います。

そもそも、自虐風自慢を「自虐」と捉えるか「自慢」ととらえるかは、

受け手の判断に依存します。

 

例えば、知り合いのパン屋さんが

「この前テレビで紹介されたせいで普段の10倍くらいお客さんが来ちゃって、

パンは足りないわ、レジは長蛇の列だで大変だよ〜」と話していたとします。

 

この話は「自虐」ですか?「自慢」ですか?

私はこの話を聞いてまず、「そうなんだ〜大変ですね」と思います。

特に自慢だとは思いませんね。

 

しかし、もし私の立場がそのパン屋のライバルである隣のパン屋だとしたら

「結局言いたいのは客が増えたって部分だろ…」と、

自虐風自慢」として捉えるのだろうと思います。

 

つまり、その部分が自分にとって足りない部分だ、負けている部分だ、

という意識が隠れているからこそ、「自虐風自慢」が成立するわけです。

 

受け手の卑屈さが、「自慢」を生み出すのではないか?

というのが今回私が考えたことです。

 

 

自虐風自慢」という言葉は、

モヤモヤを相手に転嫁できるからこんなに流行った?

 

少し話が変わりますが、

ここまで「自虐風自慢」という言葉が流行った理由に考えてみました。

 

それは、相手の話を「自虐風自慢」とカテゴライズすることで、

救われる人がいるからでしょう。

 

自虐風自慢」は

「自慢」を「自慢」たらしめる原因を自分自身にあるとは微塵も考えず、

相手の話し方が全て悪い!というように責任転嫁することができる言葉です。

  

自虐風自慢する子っているよね〜」

「あるある〜〜〜」

と話すことは、

相手のを自慢と捉えてしまう自分自身の「不足」から目を背け、

「不安」「不満」といったマイナスの感情から一時的に逃れることは可能です。

 

 

 

 

私的まとめ

相手の話を「自虐風自慢」だ! と決めることで

気持ちが楽になるかもしれません。

 

でも、もっと根本的に、

どうしてその話が自慢に聞こえるのか?

考えてもいいんじゃないかなと思います。

 

 

私は、

「異性を性的に引きつける、女性としての魅力」に関して、

彼女にぼろ負けです。

 

 だからこそ、彼女の痴漢被害の話を「自虐風自慢」と捉えました。

 

彼女のことを「自虐風自慢をしてくる嫌なやつ」

として気持ちを収めることもできます。

でも、それよりも、

「私は痴漢されるほど胸も大きくて魅力的な彼女に憧れていたのかな〜」と、

自分の心の底に眠っていた感情に気づくことのできた機会として、

ちょっとだけポジティブに捉えたいな。

 

今でも若干モヤモヤしてるので、

こんなに綺麗に気持ちを抑えられるかわかりませんが、

うん、まあ頑張ります。

 

旭川まなみ

 

「誰かにとって面白くなくてもいい」

こんにちは旭川まなみです。

 

 2017年12月から始めていたこのブログを 3カ月間お休みしワードプレスでブログを書いていました。

 

そして久々に自分自身を変えて記事を読んでみたのですが、

誰かに「面白い」と思われることを目的としていない、日記のような記事にもかかわらず、

自分にとってはとてもとても興味深く面白いものでした。

 

そしてワードプレスで3ヶ月間書いていたブログは、

他人から面白いと思われたい

他人から「いいね」されたい

たくさん検索からの流入がほしい

などといったモチベーションで書かれていて、

これらの記事は、後から読み返しても面白くないものになってしまいました。

 

なんというか…

「劣化版キュレーションサイト」といった感じで、

「みなさんも〇〇してみてはいかがでしょうか?」みたいなノリ。

とにかく「私」というものがないし、

意見も立場もなくてつまらなかったんです。

 

このブログは本当にただの日記に過ぎません。

 

でも全てが私の思いに忠実に書かれています。

 

もう少し読んでいる人を楽しませる仕掛けとかも必要なのかもしれないけれど、

私はこうやって自分の意見をブログに残しておけることがとてもとても貴重でとてもとてもありがたいんです。

 

今「ブログと言うと、

「収益化だ」とか「好きなことで生きていく」とか、

もちろん実現できれば理想的だけれども、

そのために自分の考えが言えなくなってしまうような、

そんな状況になるのは全く以て望ましくないことです。

 

私は収益が欲しい。

もちろんその事は気持ちに嘘はありません。

それでもアクセス数を集めるために自分が思っていないことを記事にすると言うしんどさ 

それと天秤にかければ、

そこまでやりたかったことじゃないのかも?と気づきました。

 

これをあきらめ、逃げ、ととらえることももちろん可能ですが、私はどうしてもそうは思いません。

 

とにかくとにかくとにかく…

自分に素直で自分の考えをぐちゅぐちゅにした、

ぐちゅぐちゅにする過程のこのブログが、

わたしにとっては必要です。

 

ワードプレスのブログもちろん続けます。

 

 私の本音とはどこにあるのか

それは私自身まだわかりません。

 

話は変わりますが、

わたしは運動が苦手で、

学校の体育で、いつも短距離走で息切れしてしばらく休むことが必要なタイプでした。

 

ブログでもきっと同じことが起きていたのだと思います。

 

頑張ろうと意気込んで短期的に頑張る事はもちろんできるけれど、

それでは続きません。

 

「細く長く続ける」

 

派手なことではないけれど、

これを愚直に実行していきたいです。

 

旭川まなみ

 

ブログが楽しいから書く。儲からなくたってそれでいいじゃないか

こんにちは、旭川まなみです。

実はこちらのブログ3カ月間ほど非公開にしていました。

その理由はワードプレスで新しくブログを始めたからです。

 

はてなブログでは私は自分の書きたいことを自由気ままに書いていたんですが、それではアクセスが集まらない。

それに誰にも価値を与えられない文章なんて、意味があるの?

 

そんなふうに思ってこちらのブログを非公開にして閉じました。

 

この3カ月間私はワードプレスでブログを書いていました。

オンラインサロンにも入りました。

どうしたらブログで稼いでいくことができるのか、自分が大好きな「言葉で表すと」いうことでどうしたら収益化できるのか。

どうしたらお金になるのか。

私も月100万円ブログで儲けてみたいな。

そんな風に思っていました。

 

でも結構結局のところうまくいきませんでした。

 

お金を稼ぐブログをつくる。

それは、意識すれば意識するほど、

自分の文章を自分自身で殺しているような作業でした。

 

自分の書きたいことではなく誰か読みたいことを書く。

どういうふうな表現をすれば検索の上位に表示させることができるのかを考える。

 Googleアドセンスに通過するために当たり障りのないブログを書く。

 

こんな、

ブログで稼ぎたいと思えば当たり前に通らなければいけない道の全てが、

どうしようもなく…しんどくなってしまったのです。

 

お金を稼ぎたいと思ってこんなに大変なことなんだ。

私は驚くとともに、でもやっぱり難しいからすごいことなんだろうなと思いました。

 

しかし私のブログを続けている中で感じる違和感は、

 Twitterのフォロワー数やブログのPV数が多い人だからといって、

必ずしも人間的に絡む事は魅力的ではないとに気づいてしまったからです。

 

お金を稼ぐノウハウやテクニックをシェアしている人たちは確かに凄い強い役に立つことかもしれません。

 

でも単純に楽しいと言う気持ちで書いている人にはやっぱりかなわないんだ。

 

私はこのブログは自分の思った事しか書いていません。

ワードプレスのブログは自分が思ってないことも書いたことがあります。

 

結局どっちが良い悪いじゃないんです。何を目的とすかなんです。

 

ただ私は自分の気持ちに本当に正直に本当に正直に日記のようなブログを書きたい。

 

これは、ブログで儲ける!

なんて言ってる時代に、逆行するようなことかもしれない。

それでもやっぱり私はブログを書きたい。

自分が思ってることを伝えたい。

自分が今しか思えないこの気持ちを忘れたくない。

 

本当の気持ちだけで育てて行きたい。

自信のない自分を変えたい!旭川まなみのリスタート

こんにちは旭川まなみです。

 

このブログも少しずつたくさんの方に見られるようになってきました。

 

テーマを決めず、とにかく自分が書きたいことを気まぐれで書いてきたこのブログ。

 

そろそろしっかり書きたいな、と思うようになりました。

 

その理由は、私自身が「変わりたい」と思っているからです。

 

このブログを変えたい、ということではありません。

 

自分のことが嫌いで、自分に自信がない「私」そのものを変えたいと思ったのです。

 

周りの目を気にせずやりたいことをやる。

似合うかどうかにビクビクせずに着たい服を着る。

自分はこういう人だ!と胸を張って自己紹介できるようになる。

他人のために気を使う時間をたくさんかけない。

いつも周りには無理せずに付き合える友達がいる。

 

…書き出すとまだまだあるのですが、

とにかく、誰かの目を気にしたり、

正解を探してリスクを取れない生き方が嫌なんです。

 

私は今大学4年生。

卒業までの約9ヶ月間で、自分をもっと愛せるように変わりたい。

 

他人のことを気にして自分のことを第一に考えないのは、

自分で自分をいじめていることと同じ。

 

私は、変わります。

 

変わるためにはいろいろなことに挑戦して達成感を得たり、

考え方の軸を他人から自分に変えたり、

様々なことが必要です。

 

その、挑戦の記録をブログに残したいと思います。

 

「自分を愛するために」というブログタイトルをつけておきながら、

私自身、自分を愛することができていません。

それどころか、

愛するとは何か、まだ本当の意味を知らないかもしれません。

 

だから、私が皆さんに

「自分を愛する方法はこれです!」

「こうすれば自分に自信をつけることができます!」

といった方法を伝えることはできません。

 

自分が達成できていないのですから当たり前です。

 

このブログにできることは

「導き」ではなく「併走」です。

 

私は「自分を愛する」ことをまだ達成できていません。

 

でも、そのための道のりをブログで紹介することで、

「自分を好きになりたい」という皆さんと同じ目線で、励ましあうことができます。

 

今、自己肯定感や自信をつける方法の本を読むと、

大抵が「達成した人の話」です。

 

もちろん、成功者の話は参考になりますが、

全てが終わった後に執筆されているので、

どこか現実感のない物語になってしまいがちです。

 

私は、全てをこのブログに書きます。

 

自信をつけるためには様々な挑戦や葛藤が必要です。

 

それらを後から振り返って体型的にお伝えするのではなく、

一つ一つの「今」を記録することで、

「あぁ、一人の女の子が自信をつけるためにこんなことがあったんだなぁ」

とリアルに感じて欲しいんです。

 

自分を変えることも、そしてこのブログでの記録も頑張ります。

 

継続してご覧いただけると嬉しいです。

 

旭川まなみ